いつもお世話になっております。アシスタントの渡邊です。
「人が死ぬ順番はあらかじめ決まっている」という空想の設定を、
自分の中だけに持っています。
ドアの前で順番待ちする私たちの名前を一人ずつ呼ぶ人がいて、
病院の診察室のように、名前が呼ばれた人から入っていく。
そのドアに入った人から死んでいく、という設定です。
なぜその順番なのかは誰にも分かりません。
名前を呼ぶ人にさえも分からないのです。
それくらい、人が死ぬことは突然で、当然で、
そのタイミングに意味は無いのだと考えています。
自分にとって身近な存在が亡くなった経験はまだありません。
あと一歩で本当に死ぬところだった、という経験も
今のところありません。
今はまだ、死から縁遠く生きています。
昨年の夏、健康診断に引っ掛かり、精密検査を受けた結果、
治療が必要だと言われました。
改まって医者から”治療が必要”と言われたことは初めてでした。
この病気の何もかもが驚くほど悪い方向に転び、
とんでもなく悪化し、
様々なことが重なってしまえば私は死ぬのだな、と思いました。
悪化する前に対処しましょうね、と言われただけなのに、
私はまず最悪の事態を考えるのです。
勿論、基本的に死に至るような病ではありません。
治療を終えて、経過観察中の今も、
私は大変健康に生きています。
やり残したことは何だろうか。
気が早いどころではないのですが、考えてみたくなりました。
仮に1年くらいで私が死ぬのなら、何を後悔するかな。
実感が無いせいか、あまりこれといったことは思い浮かばなかったのですが、
ふと「歳を取った自分の顔が見たかったな」と心底思いました。
生き残り続けなければ、歳を取ることは出来ない。
私は歳を取りたい。
昔から、歳を取るということに忌避感がありませんでした。
私は死が人生のゴールだと捉えているので、
老いるということはゴールに近づいている、ということなのです。
年老いた自分の顔・体型を見たい。
考え方や価値観を今と比べたい。
どんな人生を送るのだろう。
私はどれだけ変わるだろうか。
過去と現在との変化を知ることは、人生の楽しみのひとつです。
歳を取れば取るほど、私は自由になっていきます。
たくさんのことを知ります。
同じ自分なのに、本当に地続きの人生なのか疑うほどに、
違う自分になっていくのです。
でも人生のどこかで、過去の自分は今の自分と
本当に繋がっているということが分かり、不意に涙が出るのです。
私より年上の女性は、皆自分が生き残り続けた年数に対して自虐的です。
悲しいです。
自分の年齢を恥じる人は、他人をも年齢でジャッジするのです。
私が一生埋めることの出来ない、
あなたと私との数十年間をなぜ誇りに思わないのだろう。
生き残ってきた年数を、なぜ恥じるのだろう。
私は、自分より長く生きている人を羨ましく思います。
1月25日で、私はやっと、28歳になることが出来ます。
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